150906:
「治る」ということ。
category: からだをととのえる
とうとう9月にはいりここ大阪阿倍野、松崎町も朝晩が冷えるようになってきた。
こうなるとだんだん「冷え」に対しての注意が必要になってきて、ぼくの周囲にも体を冷やしてしまって体調を崩している人が増えている。
治療家で(調息整体の指導者は厳密に言えば違うのだけど。)あるならば、新しい患者さんと出会うと必ずその患者さんを「治す」ことを考える。
「症状=悪い=異常な状態」を改善し「正常な状態」にもっていこうと考える。
そして患者さんには、
「~回受けて下されば、治りますよ!!」とか、「何日は、治るまでにかかりますねぇ~」
なんてことを言う。
でも、ぼくはこの言葉をおいそれと言えない。
それだけの確信をもっていれば言えるのだろうけど、ぼくにはその確信が無い。
一応、ぼくもこの仕事に就いて15年以上になるから、患者さんの状態から大体の見通しを立てることは出来る。
でも、やっぱり言えない。
なぜならぼくは「治った」状態が分からないからだ。
いや、調息整体的に「これで良いんじゃないか??」って状態ならば分かる。
でもそれが「治った状態」なのかが分からないのだ。
そもそも「治った」という状態は、その治療技術によって大きく違う。
現代医学が「治った」と認識している状態と東洋医学で「治った」と認識する状態は現代医学は違うし、手技療法だけでも、整体が良しとする状態、カイロが良しとする状態、指圧が良しとする状態、それぞれが各々で違う。
以前、慢性の腰痛で悩む方が来院されたことがある。
整形では筋肉の問題と言われ、様々な治療院を巡り様々な治療法を受けまくったものの、
本人曰く「全く良くならない」とのこと。
「治せる自信はないですよ??」と前置きしてから指導を行い、ここまで変化が起れば大分変わるだろう??という段階までもっていって、患者さんに試しに色々と動かしてみたものの、
「まったく変わってない。」
だった。
来た時と違い帰りはかなり軽快に歩いて帰っていったにも関わらずである。
「これは長期戦になる、一年以上かかるかなぁ??」と思いその旨伝えて通ってもらったものの、芳しくなかったようで、結局半年過ぎたぐらいで来なくなってしまった。
また、同じ腰痛患者さんで腰痛だけでなく様々な気になる症状を持っている患者さんが来院されたことがある。
メインの症状である痛みは一回で改善したものの、それを引き起こしている骨盤のズレ、体全体の緊張感やそれに伴う諸症状は改善しておらず、このままでは痛みも再発することが目に見えていたので、状態を説明し定期的に通院してもらうことを提案したものの結局それから来ていない。
(痛みは良くなってるのは紹介してくれた友人から聞いた。)
前者は術者であるぼくは改善してると思っているのに、本人がそう認識しなかった。
後者はその逆で、術者は改善していないと思っているのに、本人は「治った」と認識した。
両方、来院されなくなったのは、ぼくの実力不足として、この二人に共通することは、
「自分がどう認識しているか??」である。
ひょっとすると治った治らないというのは、本人の認識しだいなのかもしれない??
実は岡島先生の師である野口晴哉師はこういう本人の認識を変化させることにとても優れていて、「潜在意識教育」と名づけて弟子に伝えようとした。
(岡島先生からも水野先生からもそのメソッドを教わってはいるものの、ぼくはまだまだ使いこなせていない。)
でも、それだけではない気もしている。
「治る」と言うこと。
これは簡単なようでいてなかなか答えの無い難しい問題なのだ。
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