はまな調息堂

はまな調息堂ウェブログ:日々の堂主

調息整体指導室/はまな調息堂の堂主が、
からだを整えるということや日々の活動について
考えたことを綴ります

2015年11月22日:

今年の冬は暖かいようで大阪は阿倍野区松崎町界隈の街路樹も12月になろうとしているのに、あまり色づいていない。

ぼくは6歳で始めた剣道を初めとして調息整体、習い事とずっと何かの技術を習得することに多くの時間を捧げてきた。
だけど、どれも一流と呼ばれるような存在に未だになれてはいない。

入門始めの頃は全てを捧げて没頭すれば簡単ではないが上の段階に普通に上がれるものだと思っていたし実際に捧げもした。そして捧げた時間の分だけ上達もした。
しかし一年も経つと同期で入門した仲間にじりじりと離されるようになった。

ぼくには

才能が無い

一言で言えばそうだったのかもしれない。

でも、一生を賭けようとしたものがそんな理由で上達できないのは納得できなかったし、やはり悔しくもあったので、

「もっと時間を捧げてみればいくら才能が無くても離されないんじゃないか??」

と考えて、二年目からはもっと捧げてみた。

そうしたら今度は自分が何をやっているのか「訳が分からなく」なり、どんどん離されていくことに益々焦り混乱をし、気がつけば三年目の始めに白血病を発病して入院。
それまでのお粗末ながらも費やした努力が吹き飛んでしまった。

入院中、周囲からは整体と習い事から離れ別の道を歩んでみたらどうかと強く進められた。
現代医学的には原因が不明な上「再発」の危険性がある病気なだけに、以前と同じような生活に戻って欲しくはなかったのだろう。

しかし本人はさらさら止めるつもりはなく(止めたところで他にやれることもなかった。)、入院中から体調の良い日は調息整体の勉強をしたり習い事の稽古をしたりして、発病からの2年後に復帰をした。

だけど復帰を果たして修行を再開したものの、困ったことに「訳が分からない。」ことは入院前と変わっていなかった。いや、積み上げてきたものが吹き飛んでいた分、前よりひどくなっていた。

十数年が過ぎた今、本質的な理解が全く出来ていないように感じる。
習い事は恩師の導きに従いただただ素直に稽古を重ねて、いつか理解できる日が来ることを信じるしかないから良いのだが、
調息整体の方は水野先生の講座を受け続け、懇切丁寧な解説と技術指導も受け続けてはいる。
その毎回の講座はとても面白く、生命の不思議さを感じさせてもくれる。

ただ、講座で習ったことを自分なりにどう整理自由に使いこなせるようにしていくか??
つまり、講座外の自習のやり方が致命的に分からず、どうすれば岡島、水野の両先生に追い付けるか分からない。

その為に同じところをずーっとグルグル回っているだけのような気がするのだ。

徒し事はさておきつ

皆さんは、ジョッシュ・ウェイツキンという人をご存知だろうか?? 映画、「ボビーフィッシャーを探して」の主人公である天才チェスプレーヤーの少年のモデルと言うと知っている人がいるかもしれない。

1976年、ぼくと同じ年にアメリカで生まれたこの人は、アメリカ出身の元世界チャンピオンにして天才チェスプレーヤー、ボビー・フィッシャーの再来といわれ、8歳のときに初めて世代別の全米チャンピオンになる。
その後は80年代~90年代に一線で活躍し続け未来の世界チャンピオンといわれ期待されるも、様々な葛藤から東洋哲学に傾倒し、98年に友人の勧めで訪れた太極拳の教室で鄭氏太極拳の創始者、鄭曼青氏の高弟、陳至誠氏に出会い、その太極拳に魅了されて入門。
20代前半で競技チェスからは引退し、太極拳の修行に没頭することになる。

その後、数年で推手競技(太極拳の技術で行う相撲と言えば分かりやすいか??)の全米チャンピオンになった後、04年には台湾で行われた推手の世界大会に2部門で優勝するという快挙を達成する。

そんな彼が大会の2年後に書いた、

習得の情熱

は、ジョッシュがチェスに出会ってから推手の世界チャンピオンになるまでの自伝であり、
また彼が二つの異なる分野で一流の競技者になるべくどのようにして学習し、どのようにして様々な問題を乗り越えたか??を詳しく明かした「技術習得の方法論」の解説書になっている。

・土台になる基本原理の技術を無意識に染み込むまで反復する。
・その技術を今度は実際の場面で使えるよう、小さく単純なものにしていく。

など、喉から手が出るぐらい知りたかった効率良く上達するためにやるべきことが惜しげもなく書いてあり、
また、

・起った事象を徹底的に分析し研究する。
・自在にゾーンに入るための方法

などといった、本番において結果を出すための方法論まで述べられている。

正直、この本を手に入れたときに、なんでもっと早く出会わなかったのだろう??出会っていればこんなに悩む必要もなく、無駄な時間を過ごすことはなかったのに・・・と嘆息してしまった。
(習い事に関していえば、修行体系と恩師の指導がそのままこの書籍の内容にあてはまり、なんのことはない、自分が各段階を疎かにして先に進もうとしていただけなことが露呈した。)

上達に悩む全ての表現者に、この本は多くの光を届けるであろうことを、ぼくは信じている。