はまな調息堂

はまな調息堂ウェブログ:日々の堂主

調息整体指導室/はまな調息堂の堂主が、
からだを整えるということや日々の活動について
考えたことを綴ります

2018年07月19日:

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先週、7月12日、枚岡神社に初めて行ってきた。

この神社の存在を知ったのは開業する少し前の35歳頃、神道系の新興宗教にはまった地元の知人の勘違いからである。

当時、ぼくは鍼灸学校の恩師とのご縁で大和の国の一宮である大神大社によく参拝し、御神体である三輪山に登拝して、日ごろの生活でついた穢れを浄化していただき治療家としての能力の維持を助けていただいていた。

そんなぼくに彼女は住吉大社に参拝しろと強く勧めてきた。
「大阪」の一宮であり西日本一の参拝客数をほこる、今、西日本で一番「勢いのある神社」だと彼女の信仰する宗教の教祖様が仰ってるから!!
という理由からだった。

その教祖様とやらの書籍を数冊読んだが、中身がスカスカで薄っぺらい内容な上に気軽に扱ってはいけない天部の神様の真言を唱えろと書いてあったり、仏教の輪廻転生からきた前世と、仏教に対抗するために古神道が唱えた守護霊を(つまり矛盾する)良いとこどりで使っていたり、とにかく軽い。

もともとぼくらは、「気」という科学ではまだ証明されていないものを実在するものとし、それを全ての感覚を使って感じ取り運用する。なので、深くなると自然と宗教と紙一重の物質文明とは違う概念で生活をすることになっていく

古来より「癒し」と「祈り」は不可分で、同じものとして存在していたのだから当然なのだが、ぼくたちは患者さんの「命と向き合い症状を治す」という明確な基準があり、そこが宗教とは根本的に違うところではある。

日々そういう職に身を捧げているぼくにとって、神や霊という存在を軽く扱う教祖様とやらがとても薄っぺらく、彼女がなんでこの程度の人物を盲信できるのか??不思議で仕方がなかった。

正直、ぼくは彼を全く信用していない

なので「大阪の一宮」を神社本庁のHPで調べてみることにした。
すると、面白いことが分かった。

一宮というのは地方の「令制国」においてその国の総鎮守の役割をもつ神社で、国ごとに一社ずつ定められている。(時代により変遷があったので、現代では一社ではない国もある。)

そして、大阪府は令制において、摂津国、和泉国、河内国と三つの国に分かれていたので、一宮も三社ある。実際は摂津国には2社あり、計4社存在する
(因みに河内国の一宮と間違えられる交野にある片埜神社さんは、「河州の一宮」で交野郡の一宮。)

彼女のすすめる住吉大社さんは摂津国の一宮であり、わが院のあるここ大阪市阿倍野区松崎町は摂津国なので住吉大社さんか坐摩神社さんで良いのだが、彼女の住むぼくの地元は河内国であり、そこの一宮こそ枚岡神社さんだった。

さらに、その枚岡さんを調べてみると、ぼくにとってとても重要な神社であることも分かってきた。

枚岡神社は生駒山の西側(大阪側)の東大阪に位置し、2700年近く前よりこの地に鎮座する
中臣氏(藤原氏)の氏祖である「天児屋根命」と后神の「比売御神」の2柱と、
778年に
香取神宮と鹿島神宮より招請された「経津主命」・「武甕槌命」の2柱をお祀りする
・「河内国の一宮」で、
768年に
天児屋根命・比売御神の2柱が春日大社に招かれたことから
・「元春日」とも称されている「旧官幣大社」である。

ぼくの家系は分家の分家だが藤原北家の流れを汲む家であり、また、習い事は鹿島・香取を守護神としている

なので長年、関西における鹿島・香取の神様をお祀りしている神社をずっと探していたことがあり、奈良の春日大社さんがその神社だったわけなのだけど(春日さんとのご縁も不思議な話がある。)、開業してからは奈良まで足を伸ばすことができなくなっていた。

枚岡さんに祀られている四柱の神様を総じて枚岡大明神とも呼ぶが、この大名神は春日大名神と同じ神様であり、生まれ育った南河内郡の属する河内の国の一宮、しかもわが院から一時間もかからない森の中に御鎮座されている。
ここならば頻繁にお参りに行くことが出来る!!

ただ、枚岡さんを知った当時はまだ大神さんや春日さんに通うことができたし、いつか必ずお参りさせていただかなければと思っていながら、今すぐである必要はない気がして保留することにした。

結局のところ、参拝できるまでに5年を要したわけだけど、この5年という保留期間の御陰でぼくは野口整体の分派である調息整体の指導者として、とても大切なものをいくつか手に入れることができたのだ。