はまな調息堂

はまな調息堂ウェブログ:日々の堂主

調息整体指導室/はまな調息堂の堂主が、
からだを整えるということや日々の活動について
考えたことを綴ります

8月初旬は、ここ大阪は阿倍野の松崎町にあるはまな調息堂が正式に営業を始めた頃である。

2013年に開業して6年が過ぎた。
本当にあっという間の6年、ご縁を得て関わっていただいた全ての皆様に心から御礼を申し上げます。
そして7年目に入りますが、引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。

調息整体の源流にあたる野口整体の創始者である野口晴哉師は、伝統医学である鍼灸や漢方の文献もかなり読んでいたように思われる。

実際、「風邪の効用」には幕末の漢方の大家であった浅田宗伯からの引用が出てくるし、また、沢田流鍼灸術の澤田健の弟子に教えた覚え書きである「鍼灸真髄」を読むと、整体理論に出てくることがそのまま載っていたりもする。

日本の伝統医学は江戸期に大陸との交流が制限されたことによって、大陸とは違った発展を遂げた。(この成果は、明治新政府による西洋医学重視の政策転換により民間に文献が流出などしたことで、清朝末期の中医に伝えられてもいる。)

その中でも宋代以前の古典回帰を唱えた古方派の代表的漢方医である吉益東洞の唱えた

万病は唯一毒、衆薬は皆毒物なり。毒を似て毒を攻む。毒去って体佳なり」

という「すべての病気はひとつの毒に由来しその毒を排除することが治療の根本である」とした「万病一毒説」は、その後の日本の伝統医学に大きな影響を与え、現在の漢方の基礎になったと言われている。

野口晴哉師はこの「万病一毒説」の「万病は唯一毒、毒去って体佳なり」を整体の理論に組み込んだ上で、(東洞の息子である南涯が万病一毒説を発展させ唱えた気血水論の影響もあるので、こちらが元かも知れない。)独自の発展をさせている。

それが「中毒」という状態の設定であり、その中毒を解消するための「中毒操法」(基本操法第一)である。

「中毒」とは、血液を全身に送る心臓と解毒作用を担う肝臓の血液の環流(腹心環流)が滞り、体内に毒が溜まった状態を指すのだが、調息整体や野口整体では上記の「万病一毒説」と同様、ほとんどの疾患は「中毒」状態が根底にあることで引き起こされるとしている

そして、先ずはその中毒の解消を行うべきとしている。

昔、高齢者で健康食品を何種類もとり続けて視力が低下した方がいた。 血液検査により肝臓の機能低下が出ていたが、さらに肝臓に効果のある健康食品を増やしてそれを改善しようとされていた。

また、がんの手術の後、がんに効くと評判の治療法や健康食品を10種類近くやっていて、肩が挙がらなくなった方もいた。
デトックスを進めたが、コーヒーエネマの腸洗浄で対応しようとされた。

お二人とも操法を一定期間したものの、まったく効果が出なかった。
なんのことはない、中毒状態の解消がまったくできなかったのだ。

まず、健康食品に分類される力の強い食品は、薬そのものだ。
日本の薬事法に適わないから薬とされていないだけで、中には海外では薬として認定されているものもある

そしてまた、

体のある状態を"壊す"のにその毒が有効である。

としたものをとしただけで、吉益東堂が

「衆薬は皆毒物なり。毒を似て毒を攻む。」

と述べたように、薬は毒そのものでもある。

お二人は元々が中毒状態だったにも関わらず、さらに毒を摂取し続けて止めることをしなかった。

汚く濁ったどぶ川に栄養剤だのなんだの放り込んでも川は綺麗にならない。
誰かが川のどこかで一生懸命に川さらいをしてもジャバジャバと汚染物質が流入し続ければ、やっぱり綺麗にならない。

調息整体に伝わる中毒操法やコーヒーエネマなどは「川さらい」であり、汚染物質の流入を妨げるものではない。

お二人は、まずはどぶ川に流れ込む汚染を止める必要があったのだ。
その上での中毒操法である。

野口整体系の人たちが体の異常に対して「引き算」で考えるのは、
こういった中毒の背景もあるのだ。

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とうとうこの5月から平成が終わりを告げ令和が始まり二週間が過ぎ、 周囲では改元時の喧騒が落ち着き日常を取り戻している。

ぼくは新しい御代も、出会ってくださったご縁に感謝しながら
ここ大阪阿倍野区松崎町で調息整体を通して皆様の幸せ作りの
お手伝いをしていきたい。
これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

これをしたところで、何も起こりません。」

枚岡大社の神道行法研修会で道彦をしていただいた
山根眞人禰宜の言葉だ。

二条の滝での禊行と拝殿での鎮魂行の研修を終えたあと参加者は 社務所の大広間に移り、山根禰宜と助彦を勤めて下さった権禰宜を 囲んでの直会になった。

直会ではお菓子とお茶、お酒も出て、終始和やかな雰囲気が流れ、 研修中は厳しい顔をされていた山根禰宜もほんのり赤い笑顔で参加者の 質問に答えられていた。

「神道は八百万の神々を信仰の対象にしています。
ですので、当神社はどのような宗派の方の参拝でも歓迎いたします。」

といった事を語られた後、

「今日、学んでいただいた「行」ですが、これをしたところで、 何も起こりません。

と仰られた。

穏やかだった直会がざわついた。
数人の古参の参加者は「そんなことないですよー!!」と声をあげ、 ある参加者は「今日受けて、~なことが起きました!!」と主張した。

その言葉を受けて山根禰宜はやはり笑顔を浮かべながら

「そりゃ、起こる人には起こることもあるんでしょうけどね、
でも、期待して行うことではないんです。」

じゃ、何のためにやり続けるかと??、神道には「言挙げせず」と 言って言葉での教えがありません。ですが、教えがないわけではない。 それを言葉にできないわけではないんですが・・・

皆さんが感じて欲しいんですよ。」

「なんとなく分かるでしょ??」

と仰った。
その後、続けて山根禰宜は説明をして下さろうとしたのだが、
古参の女性の反論が始まって有耶無耶になってしまい、残念ながら 聞くことができなかった。

これをしたところで、何も起こらない。」

この発言の真意を聞くことはできなかったものの、ぼくは直感的に 大切な「行の本質」を聞いたような気がした。

滝にうたれるなどの禊行、
気を自身に集める石上流鎮魂行

共に手元にある古神道研究の書籍には効果、効能が書いてある。
しかし、例えばクンダリーニヨガや周天気功のなどの行法と比較すると 大したことはないし、(石上流に至っては本田流などの他の鎮魂行と 比べてもがっかりする)両者のような動作に理論的な根拠もない。

だが、古神道に属する派には他にもあるのかもしれないが、神社神道に おいて「行」と呼ばれるものはこの二つしかない
(と山根禰宜は仰っていた。)

またネットで調べてみると、数年前まで石上流鎮魂法は神職さんにしか 伝えられず、さらに昔は奈良は天理の石上神宮(伊勢、出雲に並ぶ 最古の神宮)の秘伝の行だったらしい。

そんな大事な行の効能が大したことがないわけはない。
だが、山根禰宜は「何も起らない」といい、「期待するな」とも仰った。

ここでぼくは曹洞宗の禅語である「只管打坐(しかんたざ)」という言葉を 思い出した。習い事の師に教えていただいたのだが、意味は

ただひたすらに坐る

詳しい意味を調べてみると、

何か他に目的がありそれを達成する手段として坐禅をするのではなく、坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿なのだから、ただ無心に座りなさい。

なのだそうだ。

同じように、この二つの行が教えようとしている「なにか」を得るには 効能に期待するなどの邪念を廃してただ無心に取り組まねばならない。 と山根禰宜は仰りたかったのではないだろうか??

ただ無心で行を行う。」

行を行う上での基本であり極意である
とぼくは思った。

大阪市阿倍野区の松崎町界隈もどうやらクリスマス寒波の影響で、明日からようやく冬らしい寒さが訪れるようである。

滝行については岡島瑞徳先生が天台修験の一派である五流尊瀧院で得度され先達を勤めるところまで修行をされていた(野口整体の野口晴哉師が武州御岳山の「綾広の滝」で気合法を修行されていたり密教の行法から多く取り込まれていたことから、先生も研究のために入られたのかと思う。)ので、

調息整体やヨガの修行の一環として主に神奈川県の洒水の滝で中心感覚研究会の会員さんを連れて研修を行っていたし、関西でも指導員などの弟子には推奨し作法を書いた次第書を渡してもいる。

ただぼくが入会した後は関東で一回、研修会が開かれたぐらいで関西では開かれず、結局、ぼく自身は上の先輩方から話を聞くだけで中心感覚研究会では滝行を体験することはできなかった。

それから2008年の10月に岡島先生が亡くなられ中心感覚研究会が解散して以降も滝行には縁がなく(何度か先輩から教授してあげると言われたり、各地で開催されている滝行の会など参加しようとも思ったがどの場所もピンとこず、実現しなかった)ずっと憧れていた。

今年の5月、開業から背負った重荷やその後の責任が一段落したぼくは、5年前に存在を知ったものの余裕がなくて行く気が出なかった枚岡大社さんのことをふと思い出し久しぶりにHPを見直してみた。

色々とHP内を閲覧していると、5年前に見たときにはなかった「禊行研修会のご案内」のボタンを見つけた。「おお!!面白そうなのがあるぞ!!」と思いそこをクリックすると、神道行法研修会の案内のページが出てきた。

この研修会は平日の午後1時から5時間ほど神道の行法である禊行と鎮魂法を伝授してくれる一般人が参加可能な研修会で5月~9月の期間で月1回、行われていて、禊行は行われる場所によって海や川に浸かるなど様々なのだがこの研修会では境内の中にある二条の滝で行われる滝行!!だった。

「おおおおおおお!!!!!」である。

しかも、禊行だけでなく鎮魂行の伝授も研修内容に入っている。

鎮魂法とは禊行が心身の浄化の行であることに対し、自らの霊魂を振い起こし、神気を招き心身に鎮めることで自らの霊魂を安定・充実させ、その霊性や霊能を十分に発揮させる。
つまり生命エネルギーを高め活性化を図る行法のことで、明治の古神道家、本田親徳の本田流鎮魂法や大和の石上神宮に伝えられ神社庁で推薦されている石上流鎮魂法他、幾つかのやり方があり、枚岡さんではもちろん、石上流鎮魂法を伝授してくださる。

実はこのHPを見る数日前に神伝霊学奥義や霊学講座を読んでいてこの日本式気功法のことを知りネットで良い資料を探していたところだった。
また、この研修会も神職さんの日記を読むと、最近、二条の滝の使い方を教えて欲しいという問い合わせが多くなり、ならばと言うことで2~3年前から始められたとのことだった

正直、5年前に枚岡さんを知った時に参拝をしていれば、この先ずっと研修会の存在に気がつかなかったと思う。

禊行と鎮魂行、共に知りたい、体験したいと思っていた矢先の余りにも出来すぎた話しに首を傾げたまま、このご縁を生かすべくぼくは早速、研修会の申し込みをしたのである。

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師走という割には大阪市は阿倍野区松崎町界隈は暖かな毎日が続くので年の瀬という感じがしない。御陰で、年賀状・・・、掃除・・・、確定申告・・・、毎年、年末年始に格闘することになる用事が捗らないで困っている。

さて自分に貯まった「歪んだエネルギー=邪気の浄化」の方法だけど、その方法は各流各派に様々なものがある。

ぼくはこういう仕事に就きはじめた頃から学校の恩師や職場の先輩方、もちろん岡島先生、そして書籍などからいくつか教わってきた。
その中で自分が行ってみて有効だと感じたものを紹介してみる。

まず、出先でできる簡便なものから

治療家の先輩方に教えてもらったもの
手を流水に当てて洗う
手を振る
・塗香を塗り込む
空間に対して(自分に行う場合は、頭上や肩など邪気が有りそうな気になるところに向けて行う。)
・中指、あるいは人差し指を親指で押さえピッとはじく(=デコピン)。
・指を鳴らす。
・剣印を結び「オンアビラウンケンソワカ」と唱えつつ邪気を円で囲み、その円をエイッと気合をかけ突く。これを3回繰り返す。

古神道(伯家神道だったと思う)
・邪気を出す息吹き
1:腰幅に足を広げ女性は右足、男性は左足を半歩前に出して立つ。
2:両腕を少し広げて手の平を前に向ける。(肩関節外転30~45°、肘関節回内外0°に)
3:大きく鼻から息を吸う
4:口から勢いよく「フーツ」と息を吐く。
このとき気をを下腹(=丹田)に降ろして腹圧をかけ、体内の邪気を両手に集めそこから体外に押し出すようにイメージをする。

これらは簡便なだけに一時的に浄化するためのもので、強烈で深いところまで入り込んでくるようなものは浄化しきることは難しい。
そこで今度は、少し手間はかかるが深いところのものもある程度は浄化することができるものを紹介する。

ヒーラーのバイブルともいえるバーバラ・アン・ブレナン著「光の手」から

クンダリーニヨガ(ヨギ・パジャンのもの)
・湯船に500gの重曹500gの海水塩(粗塩)を入れて20分間浸かった(最初に何度か湯船に潜り頭頂部まで浸かる。)後、ミネラルウォーター(できれば清浄な泉の水)を飲む。

恩師、岡島瑞徳先生から教えていただいた方法

膝裏、肘の窪み、鎖骨の窪み、などの関節の皮膚の柔らかい部分を、
チクチクと摘まむ(軽く発赤する程度)
・ビールの王冠のようなギザギザしたもので擦る。(軽く発赤する程度)
水シャワーで流す。(+穴も洗う)

それと
滝行

この中で一番強力な邪気を浄化できるのは滝行だ。

古来から修行法として密教や修験道、神道に取り入れられてきたもので、神道では「禊行」の一つとして「身を削ぐ」つまり自身を浄化する行として行われている。
(この滝行、バリ島にバリ・ヒンドゥーの沐浴に滝を使う場所はあるようだが、積極的に「滝に打たれる」ことを行として行うのは日本独自ではないか??と考えているのだけど、どうなんだろう??)

やはり宗教的修行法として心身的にも霊的にも危険を伴う場合があり、勝手にお気軽、手軽に行えるものではない。
それぞれの宗派に作法があり研修を受ける必要がある。

ぼく自身は強い邪気を受けた直後は簡便なもので浄化し、仕事のない休日に調息整体の自己調整法である自働運動(野口整体で言う活元運動)と岡島先生式のクンダリー二ヨガを中心にいくつか組み合わせて浄化をするようにしている。

ぼくは去年、本厄だった。

前厄の時に年末ぎりぎりでバイト中にバイクで自損事故を起こし(それまではキツい毎日ながらも大過なく過ごしていた。)、年が明けてからもバイト先で自分が原因の書類上のトラブルやノロに罹患したりで大阪市阿倍野区の我が調息を数日しめることになったりと、4月頃までバタバタとした。

ただ、それ以降、ぼく自身には余り大した災厄は降りかからず、5月には背負っていた重荷を降ろすことも出来た。

しかし、代わりにその年の後半からぼくの周囲に色々なことが起きだした。

特に、懇意にしていた60代に入った治療家の先輩方が数名、体調を崩され仕事を長期でお休みになられたことは、ぼくにとっては大きなショックだった。

実はぼくらのような所謂「治療家」と呼ばれる職に就いている人は短命な方が多い。特に名人、大家と呼ばれている人は。

ぼくの恩師、調息整体の創始者である岡島瑞徳先生も62歳で亡くなられたし、 さらに恩師の先生である野口整体の創始者、野口晴哉師も60歳前後で亡くなられた。経絡指圧の増永静人さんや姿勢均整の亀井進さんも短命だった。

理由は色々と言われていて、精神世界系(スピリチュアル系)の人の中には、
「患者さん自身が越えなければならない業を、治療家が変わりに背負うから。」
とか言う人もいる。

密教のお坊さんも、短命ではなくとも一生懸命に衆生の業を加持祈祷で救って来られた人ほど晩年は肩代わりしたその業に苦しんで死んでいくそうなので(安らかに死ぬための行というものもあるらしい)そういうことも有るのだろうが、宗教家はともかく治療家に関して言えば「どうなのかな??」と思う。

ぼく自身は、

患者さんの気に感応して、歪みを自分に映すから。」

が最大の要因だと考えている。

こういう治療家は気づいても気づいていなくても、患者さんと自分を、共鳴させて(=気の感応)患者さんの歪みを自分に映して状態を探り治療法を見つけていく
また野口整体では天心(ポカーンとした無の状態)で操法を行えばそういった患者さんからの歪みは受けないとされている。

だが正直なところ、天心で操法をし続けることは悟りを得た高僧ぐらいにしか無理で、自分の持つ雑念によりやはり様々な歪みを受けてしまう

もちろんその歪みは施術が終われば自分の体から消えてもらわなければならないのだが、若い頃は心も体も弾力があるので何人こなしてもその歪みを解消して速やかに回復できる、しかし加齢により弾力を失っていくにつれ、解消しきれなくなってくると歪みが残ってしまう

これを繰り返すことで歪みが徐々に蓄積し、結果、どうにもならない状態になっていくのではないか??と思っている。

なのでぼくたち治療家は、この歪みを普段からこまめに消して蓄積させない必要がある

ところで、野口整体において歪みというものは、潜在意識、運動系、内臓の3つのどれかが原因であり、その歪みは運動系を仲介役にして「潜在意識→運動系→内臓」、「潜在意識←運動系←内臓」、「潜在意識←運動系→内臓」の3パターンで相互に波及していくし、また、歪みが治る過程も同様の経過を辿るとされている

(ちなみに整体操法は「潜在意識←運動系→内蔵」を利用して、運動系に現れた歪みを正すことで潜在意識や内蔵の異常を調整している。)

恐らくだが患者さんと気で感応して自分に映すという行為は、この3つのうちで潜在意識に最も作用するのでは??と思う。つまり内臓や運動系のような物質ではなく、それ以前の実体の掴めないエネルギーの部分に最も作用していると考えられる

古来より東洋世界ではこういった歪みが生じ浄化が必要になったエネルギーを 「邪気」「障気」などと呼んできた。

ということは、まずは歪んだエネルギーの浄化=「邪気の浄化」が必要になってくる。

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