はまな調息堂

はまな調息堂ウェブログ:日々の堂主

調息整体指導室/はまな調息堂の堂主が、
からだを整えるということや日々の活動について
考えたことを綴ります

大阪は松崎町界隈も春から新緑の季節へと移り変わり、昼間はムシムシとするようになってきた。
わが調息堂の六畳の指導室は幸いなことに程よい日当たりと風通しが良いので、そんな日でも窓を開けていると柔らかな薫風が入ってとても過ごしやすく、患者さんが途切れた時には柱にもたれかかってぼんやりとしている。

調息整体ではいわゆる治療のことを指導と言う。

「指導=指で導く」

癒す、治す、のではなく、文字通り指で処(=鍼灸で言うツボ)を刺激して受け手の体を受け手の体が望む方向に「導いて」いく。

その処、メインとなるものが総計194個、加えて特殊な処がいくつかでだいたい220個前後、鍼灸の経穴が830穴ぐらいなのでその4分の1しか使わない。

しかし野口系の整体には
「どこがどうなっていたらどこが悪い」
「どこをどう押さえたらどこが変化する。」
といった体を調整するための理論が膨大な量で存在する

少ない処でこの膨大な理論に対応していくので、必然的に一つの処が多様な意味をもつことになり、一つの処を押さえることで様々な場所が変化をしていく様な押さえ方の技術を要求される。
もちろん、初学者にはそんな押さえ方など出来るわけがないので、それぞれの処に決められた「押さえ方の型」を使って、整体で要求される押さえ方の原則を学んでいく。

また、そんな処の性質上、一回の操法において効果が相殺されないよう使う処の数をできるだけ少なくする必要が出てくる。
その為には受け手の状態をどこまで正確に把握できるかが鍵になり、椎骨や観察点の状態が何を表しその組み合わせが何を意味するかを知っておかなければならず、膨大な理論を深く学び知っておく必要がある。

とはいえ、理論は所詮人が作りしものなので、常に変化をし続ける生命の状態全てを網羅しているわけではなく、理論に合わない変化、状態もこれまた膨大に出てくる。
そういう理論に合わない変化に出会ったらどうするか??

こういうときは生命を持つものが持っている「勘」に委ねる。
なんとなく気になる、手が引かれる、つまり受け手の体が刺激を要求している処や部位を勘によって見つけていく。
また、理論を使って弾き出した処が、今、本当に刺激する必要があるのか??とか、どれだけの刺激を必要としているか??なども「勘」を利用して選別していく。

ただ、その勘の精度が悪いと意識が邪魔して上手く使えず間違えることが多くなってしまう。 なので術を行う人は勘の精度を常によくしておかなければならず、術を行う人は活元運動や行気法などの訓練がかかせない。
(指導する人の勘の能力が高い場合、術中、とても深いところまで入り込んでしまうことがある。 能力があまり高くないぼくでも数回ほど受け手の抱えているものが一気に流れ込んできたことがあるし、気の相性のよい人どうしだと同じ流れの中にいるような一体感が得られたりする。)

押さえ方の「」、理論以前の本能による「感覚」、そして膨大な「理論

この三つのどれもが一生かけて研究、修行しても本質にたどりつけるか分からない深みをもっているし、三つともが密接に絡み合って「整体」を作り上げているので、どれも疎かには出来なくなっている。

ちょっと学んだだけのセミナーで一人前の顔ができる技術が跋扈しているこの世界、なんともまぁ面倒くさいものに魅了されてしまったもんだと薫風を楽しみながら苦笑してしまった。

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阿倍野区松崎町にある当堂の近くにはあびこ筋を挟んで阿倍野区役所があり、5月の大型連休、普段はひっそりとしているこの界隈も、17日に行われる大阪都構想の住民投票に参加するよう呼びかける宣伝カーが走り周り例年よりも騒々しい。

祝祭日は予約が入れば朝から開けるのだが入っていない時は、取り敢えず昼から開けることにして、堂内の整理整頓や掃除に精を出している。

野口整体の創始者、野口晴哉師の師の一人であり、明治から大正、昭和にかけて活躍した霊術家、松本道別

その彼の著作である霊学講座を読むとその内容のかなり多くが野口整体の分派である調息整体にも引き継がれていることが分かる。ひょっとすると野口整体を独自に研究していく過程で、岡島先生が導入したものもあるかもしれない。

岡島瑞徳と野口晴哉、どちらが自分の体系に組み込んだのかは分からないが、逆に引き継がれなかったものに目を向けてみると、整体を実践するものとしてはちょっと面白かったりする。

その一つが、呼吸法の一つ「強息法」だ。

霊学講座には、

「専ら動物的活力を盛んにして体力を増進する呼吸法であるから、大いに腕力を強くして相撲、撃剣、柔道、その他競技運動に勇者たらんと欲する青年血気の人たちには適する。」

とあり、

忽ち元気回復して精神爽快頭脳明晰となり、またまた愉快に勉強を続けられ得る。毎日2~3回宛励行すれば、若い人ならば一週間、握力計10乃至15くらいは必ず進むことを多くの実験によって保証する。」

とも書かれている。

これだけ読むと「まあぁ、すごい!!」となるのだが、実は落とし穴があって、

エネルギーを消耗すること烈しく、身体の壊敗を迅速にするから、短時的強健法に止まり決して不老長寿の霊術ではない。」

とも書かれていて、ここらへんが先師が組み込まなかった理由なんだろうなぁ??と思うのだけれど、松本道別師は、

「併し短時的とはいえ、敢えて30歳や40歳で若死にする恐れがあるというものでもない。他の養生法も完く且宿命的寿命さえあれば、80歳位までの生命は保証されるから、所謂不死身金剛力を欲する人々は構わず断行すると良い。」

とも言っている。

(以下霊学講座より)
立式強息法
足を30度の角度に合わせて直立し、(着物は成るべく薄着か裸が良い)眼を2~3間先の目標に集注し、両手は両側に垂れたままで拇指を外にして固く握り、(握固は拇指を内にするを元則とすれど、予は力を入れるには外にする方が都合が良い。何れでも人々の便宣に従う。)

口を細く開けて息を強く深く吸い込むと共に、拇指で二本の指を握り潰す位に力を入れ、掌を上にして震えながら徐々と肘を折り曲げつつ、息を下腹部に一杯満たすと同時に、拳を鎖骨下部に着ける。

そうして頭から足の先まで全身に力を込めて息を堪えるだけ堪え、(体の踊りだすぐらい)最早堪えられぬに及んで、息を静かに鼻から呼出すると共に次第に力を緩めつつ拳を下げて元の姿勢に復えるのである。

斯うして一回を終われば、普通の呼吸を二三回して後、又前の如く繰り返すこと5回に及べば宜しい。(体術の握拳集力法と似たもの。)

臥式強息法
臥式強く息法を行うには、読書作文などして多少疲れた時など、そのまま机べりに仰臥して、両足を真っ直ぐに伸ばし、
第一、両手を握りしめて乳部に置き、口を細く開けて息を強く深く吸い込むと共にウンと力を込めて足を踏ん張り腹部の反り橋の如くなるまで緊張し、やがて息の堪え難きに及んで徐ろに元に複する
次で普通呼吸2、3回の後、
第二、握固の両腕を大腿部に着け、第一の如く強息する。
第三、握固の両腕を左右に開き、第一の如く強息する。
第四、握固の両腕を耳と平行に伸ばし、第一の如く強息する。
第五、握固の両腕を体と直角に上に伸ばし、第一の如く強息する。
(就褥の際に実行することも宜しい。)

(引用終わり)

寿命云々に関して言えば調息整体の観点からいうと「息を耐えて力を込めて、緊張し続ける。」ことを繰り返すのは、体の弾力を失いやすい
まぁ、その程度なら、例えば常用せずに試合の数日前体力の回復が必要なときなど工夫して行うのも手かなと思う。

とはいえ、松本道別師も実際のところ統計をとってきちんと検証したわけじゃないだろうから、ちょっと寿命が短くなっても腕力と握力が強化できれば良いという人はやってみると良い。

大阪は例年ソメイヨシノの開花が周辺の自治体よりも遅いのは、大阪城にある標準木のせいなのかはたまた大阪じたいの気候のせいなのか??
そんな遅い大阪でもつい先日、開花宣言が出され、わが阿倍野区松崎町界隈に植えられているソメイヨシノも少し開花が始まりました。

いよいよ春本番と言いたいところですが、実は暖かくなって体が緩んでくるこの時期、ギックリ腰のような急性の腰痛になられる方が増えます。

」という字を分解すると「月」+「要」と書きます。この「」はニクヅキと呼び、元々は「」という字で体を表していました

      

ギックリ腰になられた方はお分かりになるかと思いますが、腰がやられてしまうと手の指一本動かすことができません。またコルセットなどで腰の動きを固定してやると全身の動きが不自由になりとても窮屈になります。
つまり腰は

全身の動きの要

であり「腰」という字はそれを表しています。

ですので腰痛を起こすというのは「体の使い方」をどこか間違っていて、その負担が腰に集中し歪みを生じてしまった状態なのです。
その原因は

      

食べ過ぎ、眼の疲労、腕の使いすぎ、足の使いすぎ、立ちっぱなし、座りっぱなし、出産後のケアの間違い、手首を傷める、下肢を傷める、背骨の骨折、内臓疾患による神経の圧迫・・・

など、とても多岐に亘りますし、その原因の種類によってやはり傷める部位と症状(制限される動作や痛みの出る強さ、時間など)が変わってきます。
例えば、

眼の疲労腕の使いすぎ頭の疲労神経系の疾患が原因ですと、骨盤の上下運動が制限される為、動き出すと痛みが緩和されるものの朝の起きぬけに腰がだるく伸びをしたり腕を上に上げたりすることがしづらくなることが多いですし、

足を傷めた使いすぎた立ちっぱなし座りっぱなし呼吸器疾患をもっているなどでは、骨盤が後ろや前に倒れ過ぎてしまうので、動いていると痛くなりじっとしていると緩和され体を後ろに反ったり前に倒したりする動作がしづらくなります。

また、

手首を傷めた出産後のケアを間違えた、毎日をなにかずっと我慢して耐えている腎臓に疾患があるような人ですと骨盤が捻れてしまい、ある時いきなり激痛が走り全く体を動かすことが出来なくなる所謂ぎっくり腰になりやすくなり、体を捻ることがしづらくなります。

やっかいなことに、骨折や内臓疾患でない限り数日で痛みが解消することがほとんどではあるのですが、歪みを生じさせた原因とその歪み自体改善されていないことが多く、その為に多くの方が再発を繰り返してしまいます。

調息整体では腰痛を起こした原因の改善とそこから生じた歪みの改善を行うことで、疼痛の緩和と再発の起こしにくい体作りを目指します。

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大阪は阿倍野、松崎町界隈はあまり自然を感じるものが少ないものの、それでも漸く春を感じるようになってきました。

春というと皆さん何かしらは環境の変化があり、ちょっと気疲れしてくる季節でもありますね。冬の緊張から開放されて肩こりも一層感じられる季節かもしれません。

解剖学で肩上部と呼ばれる首の下部から腕の付け根にかけての部分は、体の様々な疲労が反映する場所になっている為に、調息整体では一概に肩こりと言ってもその原因には色々な種類があるとされ、
大きく分けて肩のこりを感じるもの、感じないものに分類し、その中でそれぞれ原因があるとされています。

1・肩こりを感じているもの
の異常、疲れ
の異常、疲れ
内臓の異常、疲れ(左は心臓、右は肝臓

1は昔は、食べすぎによるものがほとんどと言われていましたが、パソコンの普及した現代では眼や腕の疲労からくるものが多くなっています。

             

2・肩こりを感じていないが肩の緊張が強いもの
神経系の異常・・・頭の疲労精神疾患
呼吸器の異常・・・喘息結核、肺気腫等の呼吸器疾患
感覚系の異常・・・甲状腺の異常

      

もちろん原因は単体だけではなくいくつか複合しているものもありますし、1の原因の偏り疲労がひどくなりすぎて感じることができなくなったものもあります。
また、それぞれの原因によって肩と全身の緊張する場所が変わりますので、押さえる場所も日々の生活での改善すべき習慣も変わってきます。

      

例えば、腕の疲労からでしたら腕湯をお勧めしますし、眼の疲労からでしたら太ももの前側を叩くことや蒸しタオルを使った温湿布を、内臓からのもので食べすぎからならば1~2日間の軽い断食正座仰向けの体操などをお勧めします。

    

まれに少数ではありますが、重度の肩こりが心筋梗塞の前触れであったり肺がんの予兆だったりすることもあり、また肩こりをほうっておくことで偏り疲労が進み、脳卒中がんなどのやっかいな病気の原因となることもありますので、軽く考えず原因に応じた日々のこまめなケアが必要となります。

肩こりの完治(二度と起こさせない)となると先ず不可能に近いのですが、調息整体では肩こりを体の不調のシグナルと捉え、それぞれの原因に応じた操法を行った上で、日々の生活での注意点なども提供し、その奥に潜む体の異常の改善を行いかたこりのケアをしていきます。

初版が「革命」とか「プロレタリア」とか叫ばれていた時代の熱気がまだブスブスと残っていた頃の1977年。

岡島先生が30歳前半のまだ本名の岡島「治男」で、中国の「はだしの医者運動」の影響を受けた中国気功の紹介者の津村喬氏と「東洋体育道」なんてものを唱えてヨガと気功法の道場を構えて活動しつつ、野口整体の総本山、整体協会で貪るように勉強をしていた頃に整体とヨガについて書いた先生の初めての著作。

正直、晩年の著作を知っている弟子としては先生が学んだ整体とヨガの知識に当時の流行りの思想を絡めて書いただけの様に見えて、辞典的なものとして使うにはいいけど整体やヨガを通して「人そのもの」を勉強するにはかなり物足りなく感じる。

しかし岡島先生がこれを書いた背景や状況を知ると、ちょっと話が変わってくる

書き上げた原稿を晴哉師に恐る恐る読んでもらい感想をいただいてほどなくして師が亡くなられたあと、
協会に動揺が走る中、プロになる為の講座に参加したかった先生は会長に就任した野口裕之師から「岡島さんは整体は合わない」と言われ断られたのを必死に頼み込み漸く参加できることになったり、
でも、今度は組織引き締めを図っていた協会から協会と自分の会とどちらかを選べと言われ整体協会を脱会することになったり
落ち着いたら今度は自分の会の分裂騒ぎが起きたりと、
大きな運命の波に翻弄されることになる。

結局、整体協会で学ぶことが出来たのはほんの3年程
そのわずか数年間の勉強でここまでのものを先生は書き上げてしまった。
そして、当時の野口整体は野口師の「治療を捨てる」宣言の後、 対外的な広報なども行わなかったこともあって秘密のベールに包まれた「幻の整体」と呼ばれるようになっていた。
そんな幻の技術や理論をもう一度世間に紹介したのがこの本なのだ。

岡島先生の亡くなられた後、先生の功績として「野口整体の紹介者」を挙げられる療術家の方がいる。
実際、先生がスリランカで津波に被災される少し前に訪ねた野口晴哉記念館で晴哉師の奥様、昭子師に会われ

整体を広めていただいて有り難う

という言葉をいただいたこともある。

この書籍の出版以降、先生はヨガと整体の指導者として活躍し多くの人の幸せを手助けしていくことになる。
そんな記念碑的な書籍なのだ。