2016年10月31日:
気功治療の大家??(愉気について考えた。)
category: からだをととのえる
長い長い残暑も明け秋の空気が漂うようになってきた。
我が調息堂の近くには残念ながら秋祭りをするような神社がないのだが、珍しく今日は祭り囃子が聴こえている。我孫子筋を隔てた向こうにある阿倍野区役所でなにかイベントをやっているらしい。
「先生はすごい気を入れてくれる。」
バイト先の頚損の患者さんからは何年も前から言われてはいたものの、ろくにたいした修行もしていないぼくからすると実感が皆無で、そんな大層な???とずっと思っていたのだが、
先日、別の勘のいい患者さん2人からも同じ感想をいただいた。
特にそのうちの一人の方は、とある流派の「ハンドヒーリング」を身に付け日々実践されている謂わばプロの方である。
「ハンドヒーリング」
日本語では「手当て療法」、「手かざし療法」とか「触手療法」などと呼ばれている「手をかざして相手の状態の変化を促す」療法のことで、欧州のロイヤルタッチ、レイキ、中国気功の外気功をはじめ、
日本では、レイキの源流である「臼井式霊気療法」、西式健康法の「西式触手療法」、「冨田流手当て療法」、「仁神術」などや、真光教や天理教などの宗教団体のものが有名だ。
かくいう調息整体やその源流である野口整体にも
「愉気」
という同様のものが伝わっている。
これは調息整体において、自働運動(野口整体では活元運動)を土台とするならば大黒柱というべき技術で、操法の全ての場面で使われている。
また、野口晴哉師も岡島先生も、操法は本来は
「自働運動と愉気だけで事足りる」
とまで言っていた大事な技法であり、昔々の元々は相当な金額を積んで習う秘伝の類いだった。
が、この秘伝、
まず講座で教えてもらえるのは、
「相手より少し深い呼吸をし、なんとなく気になるところに手を当て、当てた手から息を吐く。そして、もういいなと思ったら、また別の気になるところに手を当てる。を繰り返す。」
ということぐらいで、特別な修行を要する訳でもないし習ったその瞬間から誰でも使えてしまう上に、現在は秘伝でもなく書籍も出ているから(わが関西CS研究会では)さらっと教えるし、やろうと思えば独習で身に付けることもできる。
一応、愉気をある程度やりこんだ人で整体の専門家を目指す人用に「愉気にある能力を持たせる訓練法」や「遠隔愉気の訓練法」もあるにはあるのだけど、それでさえ特別な儀式や修行を要する他の流派のそれと比べるとあまりに簡単なので、神秘性や有り難みが薄い。
それぐらいお手軽なのだ。
そんな愉気で、しかも患者さんから第一印象が「頼り無い」と言われるぼくが行う愉気で、上述の評価をいただいてしまい、もうなにがどうなっているのか???になってしまった。
そこで当院で毎月一回行われている「古武術介護講座」の参加者の中にも別の流派のハンドヒーリングを実習されている方がいらっしゃるので、愉気の練習を行ってみることにした。
合掌行気という手に気を集める訓練を皆でしたあと、二人組になり5分程交代で愉気をしてもらい、どう感じたかを聞いてみた。すると二人の方から
「今まで受けたものより体の深いところに浸透して温かくなる」
という感想をいただいた。
そしてこの感想で、ぼくが受けた評価の理由がなんとなく分かった気がした。
実は愉気は他の流派とは大きく違う点がある。
それは術者は、
「大量だったり高密度だったりするなにかのエネルギーを送り込んだり、相手の何かを動かしたり」
というイメージなどは全くしない。
愉気はただただ気になるところに手を当て、そこで息をし、また・・・を繰り返すだけでそこにあるのはエネルギーの補給者と受給者という一方的な関係ではなく、
愉気でのそれは、
「術者の気に共鳴(整体では感応という)した受け手」
の関係であり、また共鳴という性質上、
「受け手の気に共鳴した術者」
の関係も成り立ち、結果、双方向の関係になる。
なので愉気をすると
「受け手だけでなく術者もまた気の流れが良くなり体が整う」
ので、病人ほど積極的に他人に愉気をするとよい。と言われているし、第一、疲れない。(疲れるのならばやり方を間違えている。)
また、受け手の自身の気が動いて受け手自身を整えている。
だから、術者の気を深く浸透させる必要も大量に送る必要もないし、そんなことをしなくても深いところで大量の気の移動が起こるのだ。
そう、やっぱりぼく自身がすごいわけでも何でもなかったのである。