狂言の名家、茂山千五郎家に伝わる家訓に、
「お豆腐狂言」
という言葉がある。
もともとは十世正重師(二世千作)が、江戸時代までは特別階級の文化であり、明治でも上演するのに様々な制約があった狂言を、一般の人達に広く気軽に楽しんでもらおうと色々な場で余興として上演したことで、
「彼らの狂言は我々のやっている特別な芸能文化ではなく、どこの家の食卓にも上がる豆腐のような安い奴らや」
という悪口を言われたのを二世千作師が、
「それ自体高価でも上等でもないが、味つけによって高級な味にもなれば、庶民の味にもなる。お豆腐のようにどんな所でも喜んでいただける狂言を演じればよい。より美味しいお豆腐になることに努力すればよい。」
と、逆手にとり茂山千五郎家の家訓とした。
そして、それは現在の狂言の大きな流れになった。
「お豆腐のような気軽に愛される存在。」
亡くなった恩師は「カリスマ指導者」だったし元々演劇の演出家出身なこともあり、積極的にそういう演出を自身にされていた。
野口晴哉師が人の体を調整する技術として、自身のカリスマ性を最大限に利用していたことを参考にしたのだと思うが、
羽織袴だったりピースを吸っていたり、仕草だったり、普通の人がやればキザに見えることも、岡島先生は俳優のような男前だったから、やることが一々格好良くとても映えた。
しかし休憩時間に質問などに行くと、先生ご自身はいつも気さくに対応して下さるのだけど、雰囲気に飲まれてしまいちょっと畏れ多い感じがして、慣れている古参の人は別としてなかなか先生に近づけなかった。
そんな時にいつも岡島先生と僕たちとの間に入って距離を詰めてくれたのは、当時、関西支部の事務局長をされていた水野靖先生だった。
自身の業務のあいま、緊張している新規の会員さんに話しかけたり、冗談を言っては周りを笑わせたり、いつもニコニコ笑顔で周囲に気を配って場を和ませていたし、自分が講師をする時も、支部長の福島先生を相方に漫才のような講座をしていた。
(相方がぼくに代わっただけで、現在もこの漫才講座は変わってない。)
整体の操法も岡島先生が緊張感のある厳粛な空気の中で行われていたのに対して、水野先生は笑いの絶えない柔らかな空気の中で行われている。
技術的には、水野先生の操法を受けられた多くの古参の会員さんが「岡島先生に押さえてもらったと錯覚する」ぐらいそっくりなのだが、二人の整体指導者としてのスタイルは正反対なのだ。
ぼくはこれにとても救われた。
岡島先生は「野口晴哉師のスタイル=野口整体のスタイル=調息整体のスタイル」として日々の指導を行っていたものの、ぼくが整体に出会う以前の臨床で見つけた自身の持ち味はそのスタイルの中で使っていくのはほとんど不可能であったし、「カリスマ」とは程遠い元々の性格上それを一つの武器として使う岡島先生のスタイルを真似て使うことは余りにも窮屈で、
整体指導者として生きていくにはやっぱり今まで身に着けたものを捨ててそのスタイルに矯正すべきか悩んでしまい、ある時水野先生に問うてみた。
水野先生の答えは
「岡島先生の真似なんてそんなん無理や、あの男前の師匠がするから絵になってええけど、俺や野中がやったら笑われるだけやし、師匠のような実力者がやるならともかくお前みたいなんが整体指導者でございってカッコつけても、今のご時勢、難しいのんと違うか??もっと気軽に受けてもらえるものでええと思うで。」
というものだった。
それを聞いて安心したぼくは自分の持ち味を捨てずに自分のスタイルを作ることにした。
水野先生のようなそして茂山千五郎家の狂言のような、気軽に操法を受けてくださる
「お豆腐整体」
のスタイルを。
はまな調息堂を開業して以来、うちに通ってくださる患者さんは、恐らく、他の治療家とはしないような会話をしたり、深い悩みを打ち明けてくださったり、リラックスして受けて下さったりしていると多分、思う。
そういった意味である程度は「お豆腐整体のスタイル」を作ることができたかな??と思っている。
ただ、カリスマ性がまったくない分、患者さんがぼくの術後のアドバイスをなかなか守ってくれないという弊害はあるのだけど、まぁそれはこれからの研究課題だ。