梅雨が明けて夏が来た。
長期予報では今年は冷夏の予想で実際、7月は全国的に日照時間が短く涼しかったらしい。
大阪は入梅が観測史上もっとも遅かったがために周囲が暖められたのと、昼と朝晩の寒暖の差が大きく、また湿度が高かったのもあり、ぼく自身は猛暑だった昨年よりも疲労を覚える毎日だった。
しかし、ここ数日は昨年に負けない程の最高気温を連日記録していて、はまな調息堂のある大阪は阿倍野の松崎町でも昼間に外に出ると熱気で倒れそうになるものの、湿度と寒暖の差がましになった為か、幾分、疲労感は少なくなっている。
調息整体の源流である野口整体は、もちろん身体調整の理論や技術も優れているのだがその真骨頂は「元気に生ききる」ための「思想」やそれに基づいた人生の全てに及ぶ「生活の方法論」(健康法??的なもの。)にある。
しかしぼく自身は整体指導者を名乗ってはいるものの、その思想に基づいた生活を真剣に続けているわけではなく、良いとこどりして適当にやっているので本式でしている人を前にするとあまり偉そうなことは言えない。
そんな不真面目な実践者だが、それでも一般の人とは「健康に対しての常識」の感覚がずれていることがいくつかある。
中でも一番大きくずれているのが身体にある異常(??)が起きた時にそれをどう捉え何をするかの考え方だ。
ほとんどの人は身体に異常が起きると大抵の場合、その「異常」を「抑える」べく薬を飲んだり健康食品を食べたり、色んな療法を試したりする。なかには幾つもの療法や健康食品を併用している人なんかもいて、
今ある状態に何かを「足して」変えていこうとする。
それは、原野や荒野を開墾し河川を調え田畑を作り家を作り集落を作り人の住みやすい環境を調え自然に人為的な行為を加えて変えてきたというのに似ている。
人が自身が生存しやすいように自ら変えた環境は確かに住みやすく、 この能力の御陰で人は地球の至る所に進出し現在、地球上で最も栄えている生物になった。
しかし、この環境は大きな自然の動きに翻弄され続け、時にはポンペイの古代遺跡のように崩壊させられ再生不可能なことになったりもする。
だが、自然はそんな人の捨てざるをえなかった環境下でも再生力を発揮し、人工物を飲み込み環境に合わせて再生してしまう。
東京のど真ん中に存在する明治神宮の森は150年という長い時間を使って完成するよう計画され造成された。
その方法は、自然界の植生の「遷移」に従うという当時のドイツの植生法を東京の環境に合わせたもので、最初に緻密に計算された植林を行う以外は、後は大自然の「遷移」=再生力を利用して完成に近づけるというものだった。
この自然の再生力を引き出すために人がしたことは、
「落ち葉を掃き集めて森に戻す。」
これだけ。
結局、計画者の本田静六氏らの予想を裏切り50年以上早い100年を待たずに森は完成し現在も計画を越えて発展し続けている。自然の再生力が彼らの予想を遥かに越えたのだ。
ところで、森は自然の一部であり自然そのものであるのと同様、人工的に構築されたものではない人体もまた自然の一部であり自然そのものである。
だから森が自然の法則で動いているように、人体も同じ自然の法則で動いていて、森自身に遷移という再生力があるように、人体にも恒常性の維持という再生力がある。
閑話休題
さてぼくの場合である。
まず、異常を「出し切る」為に生活上のなにが不味いのかを体に聞いてそれを止める。そしてヨガや気功、行といったものを使って心身の滞りを作っているものを無くし自分の内外の流れを取り戻し、人体に備わる「恒常性の維持」=再生力を引き出す。
つまり今ある状態から何かを「引く」方向=引き算
で考える。
調息整体=野口整体の操法や各種体操のやっていることは、可能な範囲で人為的なものを排除して人という自然が持つ再生力が亢進する状態を作りその「再生力に任せる」ことである。
それ自体で治すのではない。
あくまでも治すのは受け手側自身の持っている自分を維持しようとする
再生力なのだ。