はまな調息堂

はまな調息堂ウェブログ:日々の堂主

調息整体指導室/はまな調息堂の堂主が、
からだを整えるということや日々の活動について
考えたことを綴ります

ぼくは去年、本厄だった。

前厄の時に年末ぎりぎりでバイト中にバイクで自損事故を起こし(それまではキツい毎日ながらも大過なく過ごしていた。)、年が明けてからもバイト先で自分が原因の書類上のトラブルやノロに罹患したりで大阪市阿倍野区の我が調息を数日しめることになったりと、4月頃までバタバタとした。

ただ、それ以降、ぼく自身には余り大した災厄は降りかからず、5月には背負っていた重荷を降ろすことも出来た。

しかし、代わりにその年の後半からぼくの周囲に色々なことが起きだした。

特に、懇意にしていた60代に入った治療家の先輩方が数名、体調を崩され仕事を長期でお休みになられたことは、ぼくにとっては大きなショックだった。

実はぼくらのような所謂「治療家」と呼ばれる職に就いている人は短命な方が多い。特に名人、大家と呼ばれている人は。

ぼくの恩師、調息整体の創始者である岡島瑞徳先生も62歳で亡くなられたし、 さらに恩師の先生である野口整体の創始者、野口晴哉師も60歳前後で亡くなられた。経絡指圧の増永静人さんや姿勢均整の亀井進さんも短命だった。

理由は色々と言われていて、精神世界系(スピリチュアル系)の人の中には、
「患者さん自身が越えなければならない業を、治療家が変わりに背負うから。」
とか言う人もいる。

密教のお坊さんも、短命ではなくとも一生懸命に衆生の業を加持祈祷で救って来られた人ほど晩年は肩代わりしたその業に苦しんで死んでいくそうなので(安らかに死ぬための行というものもあるらしい)そういうことも有るのだろうが、宗教家はともかく治療家に関して言えば「どうなのかな??」と思う。

ぼく自身は、

患者さんの気に感応して、歪みを自分に映すから。」

が最大の要因だと考えている。

こういう治療家は気づいても気づいていなくても、患者さんと自分を、共鳴させて(=気の感応)患者さんの歪みを自分に映して状態を探り治療法を見つけていく
また野口整体では天心(ポカーンとした無の状態)で操法を行えばそういった患者さんからの歪みは受けないとされている。

だが正直なところ、天心で操法をし続けることは悟りを得た高僧ぐらいにしか無理で、自分の持つ雑念によりやはり様々な歪みを受けてしまう

もちろんその歪みは施術が終われば自分の体から消えてもらわなければならないのだが、若い頃は心も体も弾力があるので何人こなしてもその歪みを解消して速やかに回復できる、しかし加齢により弾力を失っていくにつれ、解消しきれなくなってくると歪みが残ってしまう

これを繰り返すことで歪みが徐々に蓄積し、結果、どうにもならない状態になっていくのではないか??と思っている。

なのでぼくたち治療家は、この歪みを普段からこまめに消して蓄積させない必要がある

ところで、野口整体において歪みというものは、潜在意識、運動系、内臓の3つのどれかが原因であり、その歪みは運動系を仲介役にして「潜在意識→運動系→内臓」、「潜在意識←運動系←内臓」、「潜在意識←運動系→内臓」の3パターンで相互に波及していくし、また、歪みが治る過程も同様の経過を辿るとされている

(ちなみに整体操法は「潜在意識←運動系→内蔵」を利用して、運動系に現れた歪みを正すことで潜在意識や内蔵の異常を調整している。)

恐らくだが患者さんと気で感応して自分に映すという行為は、この3つのうちで潜在意識に最も作用するのでは??と思う。つまり内臓や運動系のような物質ではなく、それ以前の実体の掴めないエネルギーの部分に最も作用していると考えられる

古来より東洋世界ではこういった歪みが生じ浄化が必要になったエネルギーを 「邪気」「障気」などと呼んできた。

ということは、まずは歪んだエネルギーの浄化=「邪気の浄化」が必要になってくる。

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先週、7月12日、枚岡神社に初めて行ってきた。

この神社の存在を知ったのは開業する少し前の35歳頃、神道系の新興宗教にはまった地元の知人の勘違いからである。

当時、ぼくは鍼灸学校の恩師とのご縁で大和の国の一宮である大神大社によく参拝し、御神体である三輪山に登拝して、日ごろの生活でついた穢れを浄化していただき治療家としての能力の維持を助けていただいていた。

そんなぼくに彼女は住吉大社に参拝しろと強く勧めてきた。
「大阪」の一宮であり西日本一の参拝客数をほこる、今、西日本で一番「勢いのある神社」だと彼女の信仰する宗教の教祖様が仰ってるから!!
という理由からだった。

その教祖様とやらの書籍を数冊読んだが、中身がスカスカで薄っぺらい内容な上に気軽に扱ってはいけない天部の神様の真言を唱えろと書いてあったり、仏教の輪廻転生からきた前世と、仏教に対抗するために古神道が唱えた守護霊を(つまり矛盾する)良いとこどりで使っていたり、とにかく軽い。

もともとぼくらは、「気」という科学ではまだ証明されていないものを実在するものとし、それを全ての感覚を使って感じ取り運用する。なので、深くなると自然と宗教と紙一重の物質文明とは違う概念で生活をすることになっていく

古来より「癒し」と「祈り」は不可分で、同じものとして存在していたのだから当然なのだが、ぼくたちは患者さんの「命と向き合い症状を治す」という明確な基準があり、そこが宗教とは根本的に違うところではある。

日々そういう職に身を捧げているぼくにとって、神や霊という存在を軽く扱う教祖様とやらがとても薄っぺらく、彼女がなんでこの程度の人物を盲信できるのか??不思議で仕方がなかった。

正直、ぼくは彼を全く信用していない

なので「大阪の一宮」を神社本庁のHPで調べてみることにした。
すると、面白いことが分かった。

一宮というのは地方の「令制国」においてその国の総鎮守の役割をもつ神社で、国ごとに一社ずつ定められている。(時代により変遷があったので、現代では一社ではない国もある。)

そして、大阪府は令制において、摂津国、和泉国、河内国と三つの国に分かれていたので、一宮も三社ある。実際は摂津国には2社あり、計4社存在する
(因みに河内国の一宮と間違えられる交野にある片埜神社さんは、「河州の一宮」で交野郡の一宮。)

彼女のすすめる住吉大社さんは摂津国の一宮であり、わが院のあるここ大阪市阿倍野区松崎町は摂津国なので住吉大社さんか坐摩神社さんで良いのだが、彼女の住むぼくの地元は河内国であり、そこの一宮こそ枚岡神社さんだった。

さらに、その枚岡さんを調べてみると、ぼくにとってとても重要な神社であることも分かってきた。

枚岡神社は生駒山の西側(大阪側)の東大阪に位置し、2700年近く前よりこの地に鎮座する
中臣氏(藤原氏)の氏祖である「天児屋根命」と后神の「比売御神」の2柱と、
778年に
香取神宮と鹿島神宮より招請された「経津主命」・「武甕槌命」の2柱をお祀りする
・「河内国の一宮」で、
768年に
天児屋根命・比売御神の2柱が春日大社に招かれたことから
・「元春日」とも称されている「旧官幣大社」である。

ぼくの家系は分家の分家だが藤原北家の流れを汲む家であり、また、習い事は鹿島・香取を守護神としている

なので長年、関西における鹿島・香取の神様をお祀りしている神社をずっと探していたことがあり、奈良の春日大社さんがその神社だったわけなのだけど(春日さんとのご縁も不思議な話がある。)、開業してからは奈良まで足を伸ばすことができなくなっていた。

枚岡さんに祀られている四柱の神様を総じて枚岡大明神とも呼ぶが、この大名神は春日大名神と同じ神様であり、生まれ育った南河内郡の属する河内の国の一宮、しかもわが院から一時間もかからない森の中に御鎮座されている。
ここならば頻繁にお参りに行くことが出来る!!

ただ、枚岡さんを知った当時はまだ大神さんや春日さんに通うことができたし、いつか必ずお参りさせていただかなければと思っていながら、今すぐである必要はない気がして保留することにした。

結局のところ、参拝できるまでに5年を要したわけだけど、この5年という保留期間の御陰でぼくは野口整体の分派である調息整体の指導者として、とても大切なものをいくつか手に入れることができたのだ。

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あれから5年

ようやく??いつの間にか??

周囲は目まぐるしく変化していくものの、
ぼくは、何も変わらないまま年齢だけ重ねている
それは10年後も20年後も多分同じ。

そうなりたくてこの阿倍野区は松崎町の地で開業に踏み切ったから。
やると決めたことだけに専念するために。

でも、実は開業当初はそうではなくて、
売り言葉に買い言葉、ただの意地だけで
「業界相場の半分」
なのに、
「業界平均の3倍以上」
「5年間続き3年必要だけど、期限は2年」
という重りを背負った

それが原因で自分にとって一番古い縁を切ることになり、
他にも大切にしていたものを幾つも手放し、
やると決めたことまで疎かにして、

ただ目の前のことをひたすらこなす日々を送ることになった。

いろんなご縁をいただいて助けてもいただいたのだけど、
それでも2年が過ぎた9月頃にどうにもならなくなり、
事情を知る人に年明けには廃業する事を伝えて
必要なことを準備までした。

それが偶然??か必然か分からないけど、
なぜかその次の月から綱渡りできる状態になり、
毎月それが続き、気がついたら1年を残して重りを
降ろせることに。

だけど、降ろしたら降ろしたで、
今度は「責任」を背負うことになり、その重さに尻込みし、
振り回され、でも、
なんとか踏みとどまって周囲が見える余裕が出てきたら、
1年が経っていた・・・

この5年、押し潰された時もあったけどよくよく考えると、
ご縁のあった全ての方々に目に見える形で、
また見えない形で引っ張ってもらい、支えてもらい、励ましてもらい、
ただただ感謝する毎日で、とても貴重な時間を過ごしていた

先月からようやく自分のやると決めたことに集中できるようになった。
ずっとやり続けてそれが恩返しになれるようにと思う。

また、新しい日々が始まる。
どうぞ皆さん、これからもよろしくお願いいたします

関西CS研究会2018年4月以降の活動は会長、水野靖の諸般の事情により、 休会させていただきます。
再開の目途が立ちしだい報告させていただきます。

なお、個人指導につきましては、はまな調息堂にて堂主人、野中基之が代診させていただきます。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

GWも終わり平成も残すところ1年と迫ったものの、ここ大阪は阿倍野区松崎町は寒暖の差が激しい日が続き調息整体や親流儀である野口整体の観方だともう梅雨の体になりだしているのだけど、日中でも肌寒い時間があり、当堂も暖房器具が終えないでいる。

百尺の竿頭の上に立って、さらに一歩を進めよ。

臨斉禅の古典である「無門関」に出てくる禅語である。
高校時分に宮本武蔵の「五輪書」を読んだ際、巻末の鎌田茂雄さんの解説で出会った。

百尺(約30m)の竿の頭まで苦労して上り詰めた=修行を積み悟りを得た境地にあってそこに安住せず、さらに一歩を進めなさい。

という意味である。

しかし、この言葉、想像してみるととても怖い状況だということに気づく。

先ず

30mの立てられた竿の上に立つ

どれだけの直径なのか分からないがこんな高い竿の先端は当然、揺れて不安定なわけで危険極まりない。その危険な先端に立った上でさらに、

一歩を進めよ

と言われているのである。
それは30mの上から墜ちろ、つまり、「死ね」と言われているに等しい

ぼくはこの禅語が白血病の闘病中いつも頭の片隅にあった。
実は当時のぼくはこの禅語の意味を

死の瀬戸際に立たされている状況で、さらに一歩を進めなさい

少し間違えて解釈していたのだけど、それが白血病という死と生の狭間に置かれた闘病生活をしている自分の状況にとても良く似ている気がして、そこから一歩を進める=死を意識したときに果たして自分は何が見えるのだろう??と臨斉禅における公案のようにずっと考え続けていたのだ。

26歳という世界に自分の居場所を構築しなければならない大切な時期にあって、長期に及ぶ闘病生活は病との戦いだけでなく、生死と生き延びた後に続くその後の人生に対しての不安と絶望と孤独とも戦わなければならなかった。

前骨髄球性型急性白血病という白血病の中でも96年に分化型療法という治療法が確立されたことで他の白血病と比べて体に負担の少ない治療になり完治率も段違いに高くなったとはいえ、大量の抗がん剤を使う過酷な治療であることに変わりはなく、
明日に生きている保証はどこにもない現実と、10年後、20年後の自分の為にそれまで数年にわたり必死に取り組んでいたものが全て真っ白になり、一からやり直しどころかやり直せるのか??という未来がぼくの上に分厚くのしかかってきて、周囲に何もない暗い深海の底にたった一人でいるような感覚に陥り、どうしようもない不安と絶望と孤独が襲ってきたのだ

そんな日常においてこの言葉は、遥か高くにある海面から差し込んでくる小さな光のような存在となり、不安と絶望の中から活路を見出すための大きな支えになった。

言葉にできない何かの感覚をつかんだ気は闘病生活すぐにあった。
しかしそれが何かは分からなかった。

それが分かったのは化学療法の第一クールが終わり、数日間の帰宅許可が出たときである。

一ヶ月間、ほとんどベットから動くことが出来ず、全身が衰え数メートル歩くだけで疲労するような状態で母に付き添われながら帰宅すると、玄関の前で飼っている愛犬が尻尾を目茶苦茶に振って出迎えてくれた。

出迎えてくれるのは毎度のことなのだが、いつもなら前を歩いている母に先ず飛びつき頭を撫でてもらってからぼくに飛びつくのが、その日は母を「邪魔!!」とばかりに鼻で押しのけぼくに飛びついてきたのだ。
と同時に、大雨の晩に一匹だけ側溝に落ちてふるえていた目も開いてないのをぼくが拾ってきた愛猫が門柱に駆け寄ってきてニャーと一鳴きした。

彼らの行動を見た時、ぼくは彼らがぼくの長い不在をとても心配してくれていたのを理解した。
その瞬間ぼくは、

ぼくという存在は何かの存在に生かされ、またぼくという存在は何かの存在を生かしている。

という、全ての存在はどんな時もどんな場所にいても繋がっていて、支えあっていることを理屈抜きで実感したのだ。

この実感が正しいのか間違っているのか分からないし確かめる術もない。
ただ、ぼくはこれ以降、生きていることの素晴らしさを実感し、次に起る出来事が例え死に直結することでも客観的に観察し楽しむことができるようになり、不安も絶望も孤独もどんどん薄れていった。

百尺の竿頭の上に立ち一歩を進めてみたら、ぼくには全てと繋がった光輝く世界が待っていたのである。

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