はまな調息堂

はまな調息堂ウェブログ:日々の堂主

調息整体指導室/はまな調息堂の堂主が、
からだを整えるということや日々の活動について
考えたことを綴ります

関西CS研究会2017年10月~2018年3月の活動は会長、水野靖の諸般の事情により、 休会させていただきます。

なお、個人指導につきましては、はまな調息堂にて堂主人、野中基之が代診させていただきます。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

171219:

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とうとう平成29年も後少しとなり、阿倍野区松崎町界隈もクリスマスソングがちらほら聴こえてくるようになっている。

海に感謝する、空に感謝する、森に感謝する

ある沖縄のユタ(シャーマン)が琉球文化の信仰について語ったものだそうで、友人に教えてもらった言葉だ。

人智の及ばない何かに「感謝」をする。

という「信仰の本質」を言い表したこの言葉に出会って、ぼくは囚われていた色んなものから解放された。

調息整体の親流儀である野口整体の創始者、野口晴哉師は

・小さい頃、お寺の説法中にどこかで覚えた催眠術を聴衆にかけ、ゆらゆら揺らして遊んでいた。
・関東大震災の折に「三脈の法」を使って危難を避けた。
・その時に、腹痛で悩む人に手を当てたら治ってしまったことから、多くの人に手当てをした。

という元々不思議な子供で霊能者だった。

・人の生き死にが分かった。
・彼の操法を受けていた人が亡くなると、その人があちらの世界に旅立つ前に挨拶に来て、その後、訃報をしらせる電話が鳴る。
・神社に参拝し、道場を持つためのお金が欲しいとお願いしたら、帰りの参道の階段で古銭を拾い、以降、お金がどんどん入ってきた。

のように、彼のエピソードの中には彼が霊能者であることを示すものがいくつかある。
また彼は、

・「足止めの法」を始めとする験術を実現化できるだけの「法力」を持っていた。
・「滝伏せ」や「離れた弦楽器の弦」を鳴らすなどの気合術が高いレベルでできた。

など、霊能力だけでなく高名な霊術家のもとで修行し、出口王仁三郎を笑い飛ばし植芝盛平翁から跡を継いで欲しいと請われるぐらい高いレベルで異能の力を身につけた人でもあった。

そんな彼の創始した野口整体は目に見えないものを感じ、使いこなし、人智の及ばない力に謙虚に身を委ねて生きる思想と技術を説いている。
しかしながら、なぜか高い次元の存在である「神」については語られていない

野口整体をしたくて治療家の道に飛び込んだぼくは、駆け出しの頃、所属していた治療院で出会ったオーラヒーリングなどのスピリチュアル系にはまっていた先輩から、ハイアーセルフだのエーテル体だのアストラル体だの前世のカルマなど教えられ、野口整体ではどう扱うのか??と度々問われた。

また、身近な人間が新興宗教にはまり、会うたびにその素晴らしさを説かれ、入信を勧められもした。

治療と言うものがまだどういうものか分からず、整体を習い始めたばかりの当時のぼくにはそれらに答えたり反論できるだけの知識も経験も持っていなかった。
だけど、直感的に毎日の臨床の中で感じるなにかがその答えな気はしていたし、白血病の闘病中に感じたことがそこに繋がっていくんじゃないか??という気もしていた。

ただ、やはりあれだけの能力を持つ野口晴哉師がそれを語らないことが不思議ではあり、岡島先生に問うてみたものの

人が神を目指しても仕方がないでしょ??」

という当時のぼくでは分かるような分からないような、なんともピタッとこない答えだったのでずっとぼくの疑問になっていた。

それがひょっとして??という答えが浮かんできた。

バイトである寝たきり高齢者の方に対する訪問マッサージの患者さんで、その職場に入ってすぐに出会ってから10年のお付き合いになる頸椎損傷の女性の患者さんがいる。

出会った時はまだ60代の方である程度動けたのと、色々と紆余曲折があった結果、最初はマッサージと運動療法を行っていたのが数ヵ月後には整体操法を中心に行うようになった。
そんなある日のこと、

その日は自分の息がいつもより長く集中力があり、一連の操法の流れの中で手の引かれる処に手を当て目を瞑って愉気をしていたのだが、彼女と波が合っている感じがして、深い所にどんどん入っていく感覚があった

その内、彼女の中心の奥と自分の中心の奥に光り輝く場所があるのが見えてきた。

面白いのは、その輝きはぼくの手から出る光で照らしてやると強くなり、また、強くなった彼女の輝きが今度はぼくの中心の光を照らしぼくの輝きを強くしていくのが分かった。
こうしてお互いの輝きを強くしながら過ごしていると、やがてぼくの光と彼女の光が交差して一体になりぼくの体全体が光に包まれていった

光に包まれながらの愉気をしばらく続けた後、ゆっくりと目を開けて周囲を見渡してみると、視界に入るもの全てが輝いて見え、その輝きがまたぼくを輝かせているように感じた。

体験直後は
「この光こそが『命の本質』であり、この命の本質でもって相手の命の本質に働きかけて共鳴し、共に輝いていくことが愉気だ!!」
という直観(という思い込み)だけで終わったのだが、

つい先日、この出来事を患者さんに話していて、ふと、これが世界のあらゆる宗教が言う

自身に本来備わっている仏性や神性と呼ばれるもの

の本質で、野口晴哉師はこれを感得させる為に敢えて「神」を語らず文字に残さなかったのではないか??という考えが浮かんできた。

禅宗には「不立文字」「教外別伝」という言葉がある。
神道にも「言挙げせず」という言葉がある。

文字にすれば言葉にすれば言葉では言い表せないものを含む本質からズレてしまう。 だからこそ言葉にしないままにその本質を伝える

という意味である。
野口晴哉師はこれをしたかったのではないか??

そう思うと、愉気や活元運動、操法の時に重要視される
天心で行う
という教えはそのままその本質を感じる為の教えになっているし、

また、ピタッとこなかった岡島先生の答えにも得心がいく。
先生は、「神は自分の中に感じれば良い。」のであって「神になろうとする必要はない」と言いたかったのではないだろうか??
それが岡島先生が提唱した「中心感覚」を感じる為の方法でもある(のかな???)

そして自分の内にある神性を感じ、他者の神性を感じ、お互いが共鳴しあっていることを感じると、ありとあらゆる存在に自分が生かされていることが分かり、自然と感謝の念が沸いて来る。 また、そこには文字で書かれた教典や言葉で教えを説く教祖が介入する隙間はない。

自分の内側から湧き出て来るものを感じ、他者と世界を生かしまたよって生かされていることを感じ、毎日を全力で生き切ること。

それが野口整体、調息整体の極意なのかもしれない。

補足:天心とは??(健康生活の原理より)
>どこまでも謙虚に、ただ本能の働きだけに任せて行なう

>知識ではない、生命の知恵に任せきった無心

のことであり、また、愉気や活元(自働)運動においては、

>欲のない、相手に何ら求めることもなく、恩を着せることもなく、ただ自然の動きに動く
>そういう心の状態

でやるべきものとされている、整体の奥義とも言えるもの。

2000年頃、2年連続で中心感覚研究会関西支部主催で行われた心道流空手道宇城憲治氏の講習会に参加したことがある。岡島瑞徳先生が雑誌「秘伝」で対談し交流が始まったことで実現した企画だ。

宇城氏も初めての一般向けの講習会だったらしく、最初は緊張されていたが氏の人を引き込む魅力的な人柄もあって大いに盛り上がり、興の乗った先生は弟子でもあり助手として参加されていた娘さんが驚くぐらいかなり多くの秘技、秘術を公開してくださった。

そんな中、幸運にも参加者の多くが文化系の方たちの中、ほぼ唯一の20代の武道経験者だったぼくは、必然的に実験台になりその技を肌で体験させていただくことができた。

「そこの君、ちょっと前に出てきて下さい。」

指名を受け何が始まるのか緊張しながらぼくが立ち上がると、氏はいくつかの不思議な技をぼくを台にしてみせて下さり、その後、

今、この方は体に気が通っていません。

と仰られ、気が通っていないとどうなるかを説明しだした。

説明をなんとなく聞きながしながら、ぼくはとにかく緊張を抜こうと誰でもするように少しゆっくり目に息を吐いて余分な力を抜いてみた。
別に特別なやり方をしたわけではないのだが(後年、俳優の榎木孝明氏が簡単な気を丹田に沈める方法というのをネットで観て、偶然、同じことをしたのだと分かった。)、その瞬間、氏は説明を止めて、

「あ、今、気が通りましたね。皆さん分かりますか??」

と仰られ、先程と同じ技を行ってぼくの反応が変わっていることを示し、それから空手の型である「三戦」を示演しながらそこで使われる「呼吸」をお腹の動きをもって見せてくださった。

「息吹」というのだろうか??特殊な呼吸法で息を吐き出すと宇城氏の水落が凹み、その凹んだ分、下腹が自然と膨らんでくる。

「これが武術の呼吸です!!」

と氏は仰った後、また色々と技をみせて下さったのだが、ぼくはこれと似たものを数ヶ月前の初等講座で岡島先生に見せていただいた事を思い出していた。

それが、調息整体の源流である野口整体に伝えられている「深息法」である。

「深息法」は元々は野口晴哉師の師である「人体ラジウム学会」の松本道別師の考案による呼吸法で、松本師によると「肺尖から下腹部まで隅々まで正気を充実させる呼吸法」なのだそうで、 岡島先生も野口師が

「整体指導者は気の集中力を高める行として、これを必ずこれをしなさいと言われていた3つの行法(深息法、数息観、気合術)の内の一つ。」

と紹介していたし、整体協会の機関誌である月刊全生で、あるコンサルタントの方が、

「操法は、初等の内容と深息法で事足りる。」

と野口師が仰っていたと書いておられた。
(いまいち効用が分からないが、とにかくすごいものらしいことは分かる。)

やり方は、

深息法
① 正座して姿勢を決め、唾液を溜める。
② 口から息を吸い、下腹を膨らませる。
③ 丹田が満ちたら、鼻から息を吸い、胸で息を吸いこむ。
④ 胸で吸い切ったら肩を上げ肺尖まで吸い上げる。
⑤ 肩を上げきったところで、その上がった胸が内部で落ちると同時に唾を飲み込む。
⑥ 胸と唾が下腹に落ちるのに合わせて「ウ~ム」と唱えて息を漏らし下腹に落す。
⑦ 「ウ~ム」の「ム」で落すのを止めて下腹を充実させたら、息をこらえる。
⑧ 適度な頃合で下腹を充実させたまま、鼻からゆっくりと細く息を吐く。


ヨガをやっていらっしゃる方ならお気づきかと思うが、前半部分が「完全呼吸法」とほぼ同じであることが分かる。ついでに簡易版であるとされる漏気法も記しておくと、

漏氣法
① 正座して息を下腹から胸まで吸い上げる。
② 吸い上げた息を「ウ~ム」と漏らして下腹に落とす。
③ 深息法の ⑦ ⑧と同じ。


と、深息法の後半部分になっている。

この漏気法、松本道別師の集大成である「霊学講座」にはなぜか記載がない。
ひょっとするとかなり古い日本に伝わる呼吸法で深息法の簡易版ではなく、松本師がヨガの完全呼吸法とこの漏気法を掛け合わせて深息法を作ったのではないかとぼくは考えている。

それはさておき、この深息法、この通りにやってみるとそれほど難しいものではない ・・・のだが、実はここに幾つかの条件がつく。
そしてこの条件を守らないと健康を害する危険性があり、また余り効果が見込めない

その条件とは

②で息を吸い込むときに、水落を固くしてはいけない。(むしろ凹んでいく。)
⑦で息を吐ききった際、「ム」のところで水落が凹んでいなければならない。

というもので、ここが宇城氏が三戦で見せて下さった呼吸とよく似ていると思った部分なのだが、水落を固くしない為には上半身が脱力していなければならないし、凹むようにしつつ下腹を充実させるには息んでしまっては絶対できない

岡島先生からは野口師は下腹を固めろとかではなく、とにかく、

脾腹(わき腹)を落せ

と仰っていたと成立するヒントを教えていただいたのだが、それでもこの条件を満たそうとすると、一気に難しくなるのだが、さらにもう一つ、水野先生がその昔、一宮氏という野口師のお弟子さんから「秘伝」(らしい、岡島先生からは聞いたことがない。)として聞いた、

一分以上かけて行う。

という条件までつくと、もう、とても難しいものになってしまう。

丹田を充実させる=腰椎3番に力が出る=決断力、行動力がつく

ということでもあるので、邪魔くさがりなぼくは、2年ほど前から暇をみては深息法を行するようにしているのだけど、やればやるほど迷路に迷い込んでしまった気分になってしまう、そして今一効果の実感がない??なかなか面白い呼吸法なのだ。

各講座、個人指導の担当・水野靖

月末コース

  • 9月23日(土 )
    15:00〜19:30 個人指導
  • 9月24日(日)
    14:00〜15:30 CS体育(CSヨガ)
    15:30〜17:00 個人指導
    17:00〜19:00 調息整体法講座
  • 9月25日(月)12:30〜16:30 個人指導

定例コース

  • 調息法ゼミ(火)5・12・19 日 19:30〜21:00

個人指導(操法)

  • 土曜日2・9・16・30日 14:00〜17:00

料金

  • 講座:
    個人指導・5000円
    CS体育・2500円
    調息整体法講座・3500円
    調息ゼミ・1回 2500円、チケット8回 15000円(体験受講は1000円)
    自働運動と愉気法の会・ 1000円
    ※調息ゼミの体験受講以外、入会金と年会費が別途必要になります。
  • 新入会員の方は初年度が入会金+年会費・5000円、次年度から3000円
    家族会員の方は入会金・3000円、年会費が一人につき1000円

お問い合わせ

  • 06-6845-6250(夜10時まで受付)
    当日受付・携帯090-2197-4765
  • はまな調息堂06-6628-7714

会場

大阪市営地下鉄谷町線中崎町駅、2号出口より北に徒歩2分、パラディテレステ3F

地図

各講座の内容のご紹介
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半年前の長期予報では今年の夏は「スーパー酷暑」になると出ていたのだが、大阪は予報どおり連日の猛暑日になっている。
堂のある阿倍野区松崎町界隈も気温が高い上に湿度も高く息苦しい日々が続いている。
皆さん、くれぐれも熱中症や脱水症に注意していただきたいと思う。

以前、習い事の師の著作に

「これは極意である。」

と書かれている動きを教えていただいた。

この動作はほんの数動作。
流派によっては(もちろん全く同じ動作ではないが)入門して最初に習うものと位置付けているところもあるぐらいで、初学者でもちょっと稽古すればあっさり出来てしまうぐらい「簡単な動作」である。

しかし、道に達した方が「極意である」と表された動きがすぐにできるほど簡単なわけはなく、もちろんそこには何かがあってその何かが「極意」であり、

その何かを得ることが出来ないとその動きが出来たことにはならない

それを簡単な動きだと自分は出来ていると思ってしまったら、上に続く階段は閉ざされてしまう。

だから修行者は、先ずはその動きにある上に続く階段の入口をなんとしても探しださなければならず、さらに見つけたら見つけたで今度は膨大な時間を費やしてその階段を昇り詰める(そもそも終着点があるのかも分からない。)必要がある。

そこで初めて簡単な動作は「極意」と称されるものになるのだ。

今、関西CS研究会で行われている火曜日の調息ゼミでは、基礎編である初等講座を復習している。

「初等講座」は初等という言葉通り調息整体において「初めに習う技術群」であり、主に操法で使用する「処」の場所と意味、そして押さえ方を学習する。
もちろん基礎編なのでその「押さえ方」に使われる技術は「比較的簡単な技術」で構成されており 一回通しで受けてちょっと練習すればすぐに使えてしまうものになっている。

のだが、この初等講座に関して岡島先生は、

操法の9割は初等の技術で事足りる。

ということを仰っていた。
(実際、ぼくも普段の操法では初等講座で習う技術以上のものは滅多に使わない。)
また、野口晴哉師に住み込みで教えを受けた整体協会の古参の整体コンサルタントの方も、
操法は初等と深息法でいい

と晴哉師が仰っていたことを協会の機関誌である「月刊全生」で紹介されていた。

ここで考えてみよう。

人の体の在りようというものは個人によって違い千差万別であるし、それを調整するためにほとんどの流派は何年もの研鑽と多大で深遠な技術を習得することを術者に強いるのだが、 そんな身体の調整を野口整体と調息整体は初等だけで事足りると言っている。
なぜだろう??

そう、初等講座で習う「押さえ方の技術」は調息整体における基礎であると同時に、そこには「極意ともいうべき技術」が内包されている。当然、その極意を習得できて初めて上記の言葉が意味を為してくるのであり、初学者がちょっと習って練習した程度に適応される言葉ではない。

かくして、火曜日の調息ゼミでは入会したての会員さんと同じようにぼくたちも練習し、水野先生から入会したての会員さんはほめられ、調息整体指導者であるはずのぼくや古参の会員さんは、沢山のダメだしをもらっているという不思議な光景が広がることになったのだ。